サッカー界がジダンの頭突きで揺れました、、、テレビ、新聞などを読むと何か論点がずれているような気がします。
「暴力は行けない」「何を言われても我慢すべき」「サッカーの試合に選手がお互いいろいろきつい言葉をかけるのが当たり前、、、」「このことを見た子供達は、、、」!!!!
ちょっと待ってよ!
まず、私はジダンに、よくやった!と言いたいです。お母さんやお姉さんも誇りに思うでしょう。何かがあったら、まず身内を守る!というすばらしい男気があって、いいと思います。もちろん、暴力は良くないです、しかし、何を言われても何をされても我慢すべきなのでしょうか?私はそう思えません、、いじめられている子供が何をされても我慢しなければならないですか?今回の報道はそういうメッセージを伝えていますよ。
何があっても暴力はいけません、何があっても我慢しなければならない、特にスポーツ選手なら、、逆に聞きますが、スポーツ選手ならどんないじめ言葉を言ってもいいのでしょうか?テレビのコメンテータなどはスポーツの試合だから仕方がない、、そうですかね?日本の多くの子供達がサッカーをやっていますが、この報道が本当であるなら、子供達が試合中、お互いにどんなひどい言葉をかけても許されているということになります。それでしたら、サッカーというのはただのいじめスポーツではないでしょうか?試合を勝つために何でもOKなら(暴力以外は、、)皆と違う子供、たとえば少しの発達障害を持つ子や他の意味で皆と少し違う子でしたら絶対サッカーなんか出来ませんよね、、だって、そういう子が何を言われるか分かりません、、また何を言われても審判が「それぐらいは当たり前だ」と判断するかも知れません。
今回のことの一番大きい問題はジダンの行為ではなく、イタリア選手が言った言葉ですよ。そして、今回はたまたまジダンが頭突きをしたため、表に出た話ですが、それが無かったらおそらくこの話は表に出てこなかったでしょう。そうすると、そのイタリアの選手を次の試合もその次の試合もジダンでなくても他の選手に対してひどい言葉をかけ続けたでしょう。
試合中で選手達が興奮するのが分かりますが、選手がその興奮を口に出すのではなく、プレーにそのアドレナリンをいかすのがスポーツの見せ場ではないでしょうか?興奮していても、相手選手に言葉はかけないでクリーンなサプレーをする、、それこそ子供達へのすばらしいメッセージになるのではないでしょうか?でも、今の報道はそのことを全く問題とはしないで、ジダンがやったことばかり、そしてイタリア選手が言った内容ばかりの報道をしています、、もっと根本的なところでサッカー界は考えていかないと、あれだけ多くの子供達を預かっているわけですから責任が重いです。
サッカーをやらせている親もお子様が通っているクラブをもう一度見た方がいいのではないでしょうか?試合中に相手を傷つける言葉が許されているなら、ただのいじめっ子に育ててしまいます。こっそり、ひどい言葉を相手にかけて、相手が殴ってきたら、相手が悪いという卑怯なやり方も覚えてしまいます、、、
他のスポーツでは学べない、心と体の本当の強さは日本の武道というすばらしい伝統から学ぶことができるのに、なぜ日本人がサッカーを選ぶのが不思議です、、と思うのが私だけなんでしょうか?
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